寝室にポータブルトイレを置く。
医療や介護の世界では、珍しいことではありません。
夜中にトイレまで歩くことが難しくなった。
転倒する危険がある。
尿意を感じてからトイレまで間に合わない。
家族が毎回介助することも難しい。
それなら、ベッドの近くにポータブルトイレを置く。
合理的な解決方法です。
本人が一人で排泄できるようになることもあります。
転倒する危険も減らせます。
介助する家族の負担も減るかもしれません。
作業療法士として考えても、選択肢になる方法です。
でも私は、患者さんたちと話してきた中で、この方法を単純に「便利になった」とだけ考えることができませんでした。
寝室にトイレがある生活とは、どんな生活なのだろう。
今日はそこから住環境について考えてみたいと思います。
トイレまで行かなくていい。でも、寝室で排泄することになる
ポータブルトイレをベッドの横に置けば、移動距離は大幅に短くなります。
これは大きなメリットです。
しかし同時に、それまで別々だった二つの場所が一つになります。
眠る場所と、排泄する場所です。
本人だけで生活しているとは限りません。
夫婦で同じ寝室を使っていることもあります。
家族が近くにいることもあります。
排泄するときの音が聞こえる。
臭いが残る。
排泄物を処理する。
夜中に照明をつける。
そして朝になれば、ベッドの横にトイレがある。
身体機能だけを考えれば、
「トイレまで歩かなくても排泄できるようになった」
となります。
でも暮らしとして見ると、それだけではありません。
今まで当たり前に分かれていた生活の境界が、一つなくなります。
排泄は「できればいい」動作ではない
リハビリでは、排泄動作を評価します。
トイレまで移動できるか。
ズボンを下ろせるか。
便座へ座れるか。
立ち上がれるか。
後始末ができるか。
こうした一つひとつの動作を見ることは、とても重要です。
でも排泄には、動作だけでは説明できないものがあります。
人に見られたくない。
音を聞かれたくない。
臭いを知られたくない。
健康なときには、わざわざ意識することすらありません。
トイレへ行く。
扉を閉める。
用を足す。
流す。
出てくる。
その当たり前の仕組みの中に、プライバシーが組み込まれています。
ところが身体が不自由になると、それまで住宅が自然に守ってくれていたものを守れなくなることがあります。
これは「排泄動作が自立しているか」だけでは測れない問題です。
「一人でできるようになった」のに、生活は良くならないことがある
ここには、少し難しい問題があります。
ベッドの横にポータブルトイレを置いたことで、一人で排泄できるようになったとします。
介助も必要なくなった。
転倒の危険も減った。
評価だけを見れば、良い方向へ進んでいます。
でも本人が、
「こんなところでしたくない」
と思っていたらどうでしょう。
夫や妻がすぐ近くにいる。
音が聞こえる。
臭いがする。
朝起きると最初にトイレが目に入る。
友人や親戚が家へ来たときにも気になる。
それでも、
「一人でできるから自立です」
と言っていいのでしょうか。
私は、ここに住環境を考える難しさがあると思っています。
生活動作ができるようになることと、
その人らしい生活が戻ることは、必ずしも同じではありません。
なぜ「家具調トイレ」というものが存在するのだろう
ポータブルトイレを調べると、「家具調」と呼ばれる商品があります。
木製のフレーム。
茶色を中心とした色。
椅子に近い形。
できるだけ一般的な家具に見えるよう工夫されています。
インテリアだけを見れば、
「これで家具に見えるだろうか」
と思う商品もあります。
しかし私は、「家具調」という言葉そのものが面白いと思っています。
もし排泄という機能だけでよければ、家具に似せる必要はありません。
掃除しやすく、丈夫で、安全に座れて、排泄できればいい。
それでもメーカーは木を使う。
色を考える。
椅子に近づける。
なぜでしょう。
おそらく私たちは、福祉用具に機能だけを求めているわけではないからです。
寝室へトイレを持ち込まざるを得ない。
それでも、
少しでもトイレらしく見えないようにしたい。
少しでも家具の中に馴染ませたい。
少しでも、それまでの生活を壊したくない。
「家具調」という少し不思議な言葉の中には、
普通の暮らしを守ろうとする、せめてもの抵抗があるように私は感じます。
福祉用具が一つ増えるたび、家の景色は変わる
これはポータブルトイレだけの話ではありません。
身体が変わると、家の中にはさまざまなものが入ってきます。
介護ベッド。
手すり。
歩行器。
車椅子。
シャワーチェア。
杖。
滑り止め。
昇降用の台。
薬。
吸引器などの医療機器が必要になる人もいます。
一つひとつには、必要な理由があります。
だから簡単に「置かなければいい」とは言えません。
でも、一つ増えるたびに、
家の景色は少しずつ変わっていきます。
長年使っていたベッドが介護ベッドになる。
好きだった椅子が立ち上がりにくくなって交換される。
ラグが撤去される。
家具が移動される。
壁に手すりが付く。
寝室にポータブルトイレが置かれる。
安全になった。
生活もしやすくなった。
それでも本人から見れば、
昨日まで暮らしていた自分の家が、少しずつ別の場所になっていく。
そんな側面があります。
家が少しずつ「病室」になっていく
病院には病院のデザインがあります。
ベッドの横に手すりがある。
キャスターの付いたテーブルがある。
医療機器がある。
必要な物へすぐ手が届く。
清掃しやすい。
安全性も考えられている。
機能的には非常によくできています。
でも退院した人が帰りたいのは、病室ではありません。
自分の家です。
ところが在宅生活を安全にしようとすると、病院で使っていたものと似た設備が少しずつ家へ入ってきます。
もちろん必要なら使うべきです。
問題は、そこで考えることを止めてしまうことです。
「安全になったから完成」
ではなく、
安全にしたあとも、ここはその人の家であり続けているか。
私はそこまで考えたいと思っています。
ここでインテリアが必要になる
インテリアというと、
おしゃれなソファ。
照明。
カーテン。
観葉植物。
そんなものを想像するかもしれません。
でも、身体が不自由になった人の家でインテリアを考える意味は、もっと切実だと思います。
家を家のまま残すためです。
例えばポータブルトイレなら、本体のデザインだけを変えて終わりではありません。
どこに置くのか。
ベッドからどう見えるのか。
入口から見えるのか。
必要なときだけ視線を遮れないか。
換気はどうするのか。
臭いはどうするのか。
夜間照明はどうするのか。
消臭用品や処理用品をどこへ収納するのか。
介助者はどこから入るのか。
本人の移乗動作を邪魔しないか。
そして、部屋全体の家具とどう共存させるのか。
ここまで来ると、
「おしゃれなポータブルトイレを作れば解決」という話ではありません。
空間そのものを考える必要があります。
デザインは、見た目を良くするためだけのものではない
私はここを、これからもっと考えていきたいと思っています。
例えば、手すり。
身体を支える位置や太さは重要です。
でも、それを満たした上で、住宅の素材や家具と調和させることはできないでしょうか。
椅子なら、
立ち上がりやすい座面高。
沈み込みにくい座面。
身体を押し上げられる肘掛け。
十分な安定性。
こうした条件を満たした上で、本人が好きなデザインを選ぶことはできないでしょうか。
収納なら、
手が届く。
引き出せる。
戻せる。
という条件を満たしながら、美しい空間にできないでしょうか。
機能を満たしたところでデザインを終わらせない。
ここに、福祉住環境とインテリアが交わる場所があると思っています。
普通の家具で解決できるなら、その方がいいこともある
身体が不自由になったからといって、すべてを「介護用品」に交換する必要もありません。
例えば椅子。
その人が必要とする条件が、
座面高45cm。
硬めの座面。
しっかり押せる肘掛け。
十分な安定性。
だと分かったとします。
その条件を満たす一般家具があるなら、それを使えばいい。
リビングに置いても違和感がなく、本人も気に入っている。
それで安全に立ち上がれる。
だったら私は、その選択を大切にしたい。
反対に、一般家具では安全を確保できない身体状況なら、福祉用具の力を借りる。
一般家具か福祉用具かを先に決めるのではなく、その人の身体と生活から必要な機能を決める。
そのあとで、できるだけ本人の好きな空間を作る。
この順番なら、利便性とデザインをもう少し近づけられると思います。
福祉用具メーカーだけに任せる問題でもない
「もっとおしゃれな福祉用具を作ってください」
だけでは、おそらく解決しません。
福祉用具には厳しい条件があります。
安全性。
耐久性。
清掃性。
介助のしやすさ。
高さ調整。
身体を支える強度。
そして価格。
一般家具なら許される細い脚や華奢な構造が使えない場合もあります。
だからこそ、
福祉用具を家具へ近づけるだけではなく、
普通の家具を福祉の視点で選ぶ。
住宅の配置を変える。
収納を工夫する。
必要な福祉用具だけを使う。
そして空間全体をインテリアとして整える。
いくつもの方法を組み合わせる必要があります。
ここには、作業療法士だけでも、インテリアコーディネーターだけでも見落とす部分があるかもしれません。
身体が変わっても、好みまで変わるわけではない
身体が不自由になっても、人は急に別の人になるわけではありません。
好きな家具があります。
好きな色があります。
長年集めてきた物があります。
家族との生活があります。
人に見られたくないことがあります。
一人になりたい時間があります。
そして、
自分の家は、自分の家であってほしい。
それは身体機能とは別の、人が暮らすうえで大切なことだと思います。
だから住環境を整えるとき、
「できるようになりました」
「転ばなくなりました」
だけで終わらせたくありません。
もう一つ聞いてみたい。
「この家で、これからも暮らしたいと思えますか」
そこまで含めて住環境なのだと思います。
身体が不自由になっても、家を病室にしない
寝室にポータブルトイレを置く。
必要なら置きます。
介護ベッドが必要なら使います。
手すりが必要なら付けます。
車椅子が必要なら使います。
私は、それらを否定したいわけではありません。
むしろ必要なものは、きちんと使った方がいい。
ただし、
必要なものを置いたところで、住環境づくりを終わらせない。
そこからもう一度、家を見る。
音はどうだろう。
臭いはどうだろう。
視線はどうだろう。
家具との関係はどうだろう。
本人はどう感じているだろう。
家族はどう感じているだろう。
そして、この部屋をもう一度、
その人の好きな部屋にできないだろうか。
福祉が生活を支える。
インテリアが暮らしを守る。
その二つは、本来離れたものではないはずです。
身体が変わったときに必要なのは、ただ「介護しやすい家」を作ることではない。
身体が不自由になっても、家を病室にしない。
私はこれから、それも住環境の大切な役割として考えていきたいと思っています。
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福祉住環境研究所では、作業療法士としての現場経験をもとに、身体機能や生活動作だけでなく、家具・福祉用具・住まい・インテリアまで含めて暮らしを考えています。
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