「施設に入りたくない」のではなく、「今の暮らしを失いたくない」のです
「母が施設へ入りたがらないんです。」
介護や医療の現場では、よく耳にする相談です。
転倒が増えた。
認知症も少し進んできた。
一人暮らしは心配。
それでも本人は、
「まだ家にいたい。」
そう話します。
この言葉を聞くと、
「施設が嫌なんだな。」
と考えがちです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
私は少し違うように感じています。
高齢者が守りたいのは、施設へ入らないことではありません。
今まで積み重ねてきた暮らしそのものなのです。
日本は「施設中心」から「地域で暮らす」時代へ
介護保険制度が始まった2000年頃は、特別養護老人ホームなど施設整備が大きな課題でした。
しかし現在、国は地域包括ケアシステムを推進し、「可能な限り住み慣れた地域で暮らし続ける」ことを基本方針としています。
これは介護費を抑えるためだけではありません。
本人の生活や尊厳を守るという考え方へ政策が変化してきた結果でもあります。
つまり、
「施設へ入れるか」
ではなく、
「地域で暮らし続けられるか」
という発想へ変わり始めているのです。
高齢者が失うのは「家」だけではありません
住み替えによって失われるものは建物だけではありません。
例えば、
・毎日歩いていた散歩道
・顔なじみの近所の人
・行きつけのスーパー
・かかりつけ医
・庭の草花
・仏壇
・地域の集まり
・長年一緒に暮らした犬や猫
これらも同時に失われます。
以前、地域包括支援センターの方から、
「ペットを置いて入院できず、治療を先延ばしにする高齢者がいる」
という話を伺いました。
ペットは「趣味」ではありません。
家族です。
住まいを変えるということは、
人生そのものを大きく変えることでもあるのです。
「施設か在宅か」という単純な話ではありません
現場では、
「危ないから施設へ」
という話になることがあります。
しかし、現実はそれほど単純ではありません。
この選択には、本人だけではなく、多くの要素が絡み合っています。
例えば、
① 本人の身体機能・認知機能
どの程度の介助が必要なのか。
転倒リスクは高いのか。
認知症による徘徊や火の不始末はあるのか。
「できなくなったこと」だけではなく、「今もできていること」を把握することが重要です。
② 本人の希望
家にいたい理由は何でしょうか。
庭でしょうか。
ペットでしょうか。
近所付き合いでしょうか。
仏壇でしょうか。
その背景を知らずに最善の選択はできません。
③ 家族の介護力
家族がいることと、
介護できることは違います。
仕事。
距離。
体力。
精神的負担。
老老介護。
介護離職。
本人だけではなく、
家族の生活も同じように守らなければなりません。
④ 地域の支援体制
訪問介護。
訪問看護。
デイサービス。
地域包括支援センター。
ケアマネジャー。
近隣住民。
制度は全国共通でも、
地域資源は地域によって大きく異なります。
地方ではサービスそのものが不足している地域もあります。
⑤ 住宅そのもの
住宅があれば安心でしょうか。
私はそうは思いません。
築50年。
段差だらけ。
寒い浴室。
狭い廊下。
改修には数百万円かかることもあります。
では、
85歳になってから、
あと何年住むか分からない住宅へ、
そこまで投資することは本当に合理的なのでしょうか。
⑥ 経済状況
施設利用料。
住宅改修費。
年金。
医療費。
介護保険負担。
「払えるか」
だけではなく、
「この生活を何年間続けられるのか」
まで考える必要があります。
⑦ 施設側の事情
実は、
入りたい施設へ必ず入れるとは限りません。
空床の有無。
医療依存度への対応。
認知症の受け入れ。
看取り体制。
本人が施設を選ぶだけではなく、
施設側にも受け入れ条件があります。
作業療法士として感じること
私は住宅を見るとき、
最初に間取りを見ません。
その人が、
どこへ買い物へ行くのか。
どこで転びそうなのか。
誰と話しているのか。
冬をどう過ごすのか。
生活が見えなければ、
本当に必要な住環境は見えてきません。
住環境とは、
建物ではなく、
生活そのものを支える環境だからです。
私が現場で考えている判断基準
施設へ入るか。
在宅を続けるか。
私は次の5つを自分自身に問いかけています。
① 半年後、この人は今より幸せになっているだろうか。
② 家族だけに無理を押し付けていないだろうか。
③ お金は最後まで持続するだろうか。
④ 地域とのつながりは失われないだろうか。
⑤ 「安全」と引き換えに、その人らしい暮らしまで失っていないだろうか。
この5つに正解はありません。
しかし、この視点で整理すると、
「施設か在宅か」という二者択一ではなく、
「その人らしい暮らしをどう支えるか」
という議論へ変わります。
まとめ
高齢者が施設へ入らない理由は、
「施設が嫌だから」
という単純な話ではありません。
そこには、
本人の想い、
家族の事情、
住宅の状態、
地域の支援体制、
経済状況、
施設の受け入れ状況など、
多くの要素が複雑に絡み合っています。
だからこそ、
一つの正解を求めるのではなく、
その人にとって最善の選択を一緒に考えることが重要です。
私は、住環境とは建物ではなく、
「その人らしい暮らしを支える仕組み」
だと考えています。
超高齢社会では、
施設か在宅かを議論する時代ではありません。
「その人が、どこで、どう暮らし続けたいのか」を中心に考える時代なのです。
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