「最近、ペットボトルのふたが固くなった気がする」
「瓶のふたが開かない」
「買い物袋を持っていると、指が痛くなる」
こんなことが続くと、「握力が落ちたのかな」と考える人もいると思います。
では実際、握力は何kgあれば生活に困らないのでしょうか。
20kgでしょうか。30kgでしょうか。
作業療法士としては、ここで単純に「○kgあれば大丈夫」とは言えません。
なぜなら、握力には身体側の問題だけでなく、私たちが毎日使っている製品が、どれだけの力を人間に要求しているのかという別の問題があるからです。
今回は「握力が弱い人」の話だけではなく、少し視点を変えて、人とモノの関係から考えてみます。
「握力が弱い」は何kgからなのか
まず一つ、基準になる数字があります。
Asian Working Group for Sarcopenia(AWGS)の2019年基準では、筋力低下を示す握力の基準として、
男性:28kg未満
女性:18kg未満
が示されています。
ただし、これは重要なので強調しておきます。
28kgや18kgを下回った瞬間に、ペットボトルが開かなくなるという意味ではありません。
サルコペニアを評価するための基準と、「生活用品を操作できる力」は別の話です。
ここを混同すると、
「握力20kgだから、この動作はできます」
という乱暴な話になってしまいます。
実際の生活はそんなに単純ではありません。
瓶を開けるとき、私たちは「握る」だけではない
瓶のふたを想像してください。
片手で瓶本体を固定して、反対の手でふたを握り、ひねります。
必要なのは単純な握力だけではありません。
ふたをつかむ力。
滑らないように保持する力。
手首を回す力。
瓶を反対側の手で固定する力。
そして、ふたを回すトルク。
これらが組み合わさっています。
実際に若年者と高齢者の瓶を開ける動作を測定した研究があります。
そこで興味深い結果が出ています。
高齢者は若年者より弱い力でふたを握っていましたが、**自分が持っている最大握力に対して使っていた割合は、高齢者約40%、若年者約27%**でした。
同じ「瓶を開ける」という日常動作でも、身体能力に余裕のある人とそうでない人では、負担の意味が違うわけです。
これは結構重要だと思います。
「開けられない=握力不足」で終わらせていいのか
リハビリテーションの世界では、身体機能を測ります。
握力を測る。
関節可動域を測る。
筋力を測る。
もちろん必要です。
握力が低下しているなら、身体側へのアプローチが必要になる場合もあります。
でも、私はもう一つ考えたい。
なぜ、その瓶のふたはそれだけの力を必要とするのでしょうか。
ここから話が人間工学に変わります。
人間工学では、人間が製品に合わせるだけではなく、人間の身体特性や能力に製品や環境を合わせるという考え方をします。
瓶のふたなら、
直径。
高さ。
形。
表面の滑りやすさ。
こうした違いによって「開けやすさ」は変わります。
ふたの「形」を変えるだけでも違う
実際、手に機能的な制限のある高齢女性を対象として、瓶のふたの形状を比較した研究があります。
研究では、ふたの直径だけでなく、
高さ、上面の形、側面形状、表面加工
などを変えて評価しています。
その結果、使いやすさとの関係で特に重要だったのがふたの高さでした。
また、六角形の上面や凸型の側面など、形状によっても使いやすさの評価が変わりました。小さいふたでは、条件によってギザギザした表面加工にも利点が確認されています。
つまり、
「握力が弱いから開けられない」
だけではなかった。
同じ人間でも、製品の形を変えれば使いやすさが変わる。
これが面白いところです。
私たちは、思った以上に「モノに合わせて」生活している
この視点で家の中を見ると、握力に関係するものはかなりあります。
ペットボトル。
瓶。
蛇口。
ドアノブ。
ハサミ。
ペン。
洗濯ばさみ。
食品包装。
買い物袋。
例えば買い物袋の細い持ち手が指に食い込む。
そこで、
「重いものを持つ筋力がない」
と考えることもできます。
でも同じ重さでも、持ち手の幅や形が違えば、手にかかる負担は変わります。
つまり、身体能力だけを測っても生活の使いにくさを全部説明できないのです。
「握力を鍛えましょう」だけでは解決しない
握力が低下している人に対して、
「握力を鍛えましょう」
というのは一つの方法です。
でも、それだけではありません。
製品側を変える。
持ち方を変える。
摩擦を増やす。
力を加える位置を変える。
必要な力そのものを減らす。
これも解決方法です。
私は作業療法士なので、どうしても「その人に何ができるか」を見ます。
でも人間工学という視点を加えると、
「その製品は、人間に何を要求しているのか」
という逆方向からも見ることができます。
ここがとても重要だと思っています。
28kg、18kgという数字より大切なこと
最初の問いに戻ります。
握力は何kgあれば生活に困らないのでしょうか。
残念ながら、
「○kgあればすべての生活動作に困らない」
という数字はありません。
年齢も違う。
手の大きさも違う。
関節の状態も違う。
必要な動作も違う。
そして何より、使っている製品が違います。
だから握力計で20kgだったとしても、
その数字だけを見て、
「弱い」
「大丈夫」
と判断するのでは足りません。
大切なのは、
その力で、実際の生活の中のモノを扱えるか。
そして扱えないとき、
人を変えるべきなのか、モノを変えるべきなのか。
両方から考えることです。
使えない人ではなく、使いにくいモノを見る
これまで福祉やリハビリテーションでは、「できないこと」に対して人間側から考えることが多くありました。
筋力をつける。
練習する。
福祉用具を使う。
介助してもらう。
もちろん、それらは必要です。
でも、街や住宅、生活用品を見ていると、別の疑問も出てきます。
そもそも、なぜこんなに力が必要なのだろう。
その疑問から製品を見ると、日常生活はかなり違って見えてきます。
握力が落ちても使える。
手が小さくても使える。
片手でも使える。
年齢を重ねても使える。
そして、特別な福祉用品ではなく、誰にとっても普通に使いやすい。
そんな製品が増えれば、「できない人」を減らすことができます。
人間が製品に合わせるだけではなく、
製品の方から、人間に近づいていく。
握力という一つの数字からでも、そこまで考えることができます。
これからこのブログでは、住宅だけではなく、街や身の回りの製品についても、**「人にとって本当に使いやすいとは何なのか」**を、研究や実測も交えながら考えていきたいと思います。
参考にした主な研究
Asian Working Group for Sarcopeniaによる2019年コンセンサスでは、低握力の基準を男性28kg未満・女性18kg未満としています。
Carseらの研究では、瓶開け動作を実測し、高齢者が若年者より最大握力に対して大きな割合の力を使用することなどが報告されています。
Yenらは、手の機能に制限のある高齢女性を対象に、瓶のふたの高さ、直径、形状、表面加工などと使いやすさとの関係を検討しています。


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