「一人でできないことが増えた」が目安ではありません
「そろそろ親を施設に入れた方がいいのだろうか」
在宅介護をしていると、いつかこの問題にぶつかることがあります。
一人で風呂に入れなくなった。
料理をしなくなった。
歩くのが危なくなった。
夜中のトイレが心配になった。
認知症が進んできた。
こうしたことが増えてくると、「もう自宅では無理なのではないか」と考えるのは自然なことです。
実際、「親を施設に入れるタイミング」「在宅介護の限界」といった情報を探している人も少なくありません。介護情報サイトでも、家族が限界になる前に施設入居を検討することが勧められています。
ただ、作業療法士としては少し違う見方をしています。
できないことが増えた数だけで、施設へ移るタイミングは決まりません。
では、何を見ればいいのでしょうか。
風呂に入れなくなったら施設なのか
例えば、一人で入浴できなくなったとします。
浴槽をまたげない。
浴室で転びそうになる。
身体を洗うことが難しい。
確かに「できないこと」は一つ増えています。
でも、
手すりを付ける。
シャワーチェアを使う。
訪問介護を利用する。
デイサービスで入浴する。
家族がいる時間に入浴する。
浴槽に入らずシャワー浴へ変更する。
方法を変えれば、自宅での生活そのものは続けられるかもしれません。
調理も同じです。
料理ができなくなったとしても、配食サービスや宅配、家族の支援などで食生活が成立するなら、それだけで「自宅では暮らせない」とは言えません。
できなくなった動作と、自宅で暮らせなくなることは同じではありません。
見るべきなのは「生活が成立しているか」
私はここが重要だと思います。
例えば、
入浴できない。
食事を準備できない。
掃除できない。
買い物へ行けない。
薬の管理が難しい。
一つずつ見れば、できないことだらけに見えるかもしれません。
でも、それぞれに別の方法や支援を入れた結果、
食べられる。
身体を清潔にできる。
薬を飲める。
必要なところへ行ける。
夜も安全に過ごせる。
本人が望む生活をある程度続けられる。
のであれば、生活はまだ成立しています。
逆に、歩けるし食事も自分でできる人でも、認知症によって何度も外へ出て行ってしまう、火の管理ができない、服薬が大きく乱れるなど、一つの問題によって24時間の安全確保が難しくなることもあります。
だから私は、
「何個できなくなったか」ではなく、「支援を組み合わせても生活全体が成立するか」
を見た方がいいと思っています。
家族が何とかしているから「在宅可能」とも限らない
もう一つ忘れてはいけないのが、家族です。
本人だけを見ると、
「まだ家で暮らせている」
ように見える。
でも実際には、
娘が毎朝出勤前に来ている。
夜中に何度も起こされる。
仕事中にも電話がかかってくる。
買い物も掃除も食事も家族が全部やっている。
一人にしておけないので、家族の誰かが必ず家にいる。
これを「自宅で生活できている」と言っていいのか。
厚生労働省も現在の地域包括ケアについて、本人だけではなく家族介護者も含めて社会全体で支える必要があるとしています。
本人の生活が成立していても、そのために家族の生活が成立しなくなっているなら、すでにどこかを変える必要があります。
施設を考える目安は、本人の身体だけではありません。
本人と、それを支えている人を合わせて見る必要があります。
では「在宅介護の限界」はどこなのか
ここまで考えると、単純な線引きはできません。
ただ、判断材料は見えてきます。
支援を入れても、必要な生活行為を補えなくなっている。
一人になる時間の安全を確保できない。
夜間も含めて、頻繁な介助や見守りが必要になっている。
本人が現在の家で暮らすこと自体に大きな不安を感じている。
介護する家族の仕事・睡眠・健康・家庭生活が維持できなくなっている。
そして大事なのは、
「全部当てはまったら施設」ではないことです。
一つの問題でも生活を大きく壊すことがあります。
反対に、できないことがたくさんあっても、サービスや環境によって生活できる人もいます。
チェックリストの点数で決める話ではありません。
海外では「施設に入れるか」より先に何を見ているのか
この問題について調べていて、海外の制度に少し面白い考え方がありました。
デンマークでは、ナーシングホームが必要かどうかを判断するとき、本人の身体状況だけを見ません。
ホームケア、デイサービス、現在の住宅の改修、短期的なケア、家族を休ませるレスパイトなど、現在の住まいで利用できる他の支援も含めて判断します。
そしてナーシングホームの対象になるのは、何度も介護や援助を必要とし、その支援を他の住まいでは提供できない場合とされています。
この考え方は分かりやすいと思いました。
「歩けなくなったから施設」
ではない。
「認知症になったから施設」
でもない。
今の家に必要な支援を持ってきても、そこでの生活を成立させられない。
そこが一つの境目です。
もちろん制度が違うので、そのまま日本へ当てはめることはできません。
でも、施設を考えるときの物差しとしては参考になります。
日本も「できるだけ自宅で」という方向を目指している
実は、日本の考え方も大きく違うわけではありません。
厚生労働省の地域包括ケアシステムは、重度の要介護状態になっても、可能な限り住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けられるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援を一体的に提供することを目指しています。
国の基本方針には、
「ときどき入院、ほぼ在宅」
という表現まであります。
だから、
「できるだけ長く自宅にいなければならない」
という話でもありません。
本来見るべきなのは、どこに住んでいるかではなく、そこで生活が成立しているかでしょう。
施設に移ったら「自宅生活は失敗」なのか
そして、もう一つ。
施設へ移ることになったとしても、それまでの在宅生活が失敗だったわけではありません。
ここでも海外を調べていて、印象に残ったものがありました。
スウェーデンには、24時間スタッフがいる「特別住宅」があります。
かなり介護ニーズの高い人が暮らす住まいですが、スウェーデン社会庁はそこで暮らす人に対して、
そこはあなた自身の家である
という位置づけをしています。
本人の私生活や希望は尊重され、誰がいつ訪ねてくるかも本人が決めます。
ここは考えさせられます。
日本でも特別養護老人ホームなどは、単に介護サービスを提供する場所ではなく、その人が生活する場所です。
それでも私たちは、
「自宅で頑張る」
そして限界が来たら、
「施設に入れる」
と、まるで二つの世界に分けて考えがちです。
でも本人からすれば、どちらも人生の続きです。
「住める家」と「暮らせる家」は違う
本人が自宅にいたいと言っている。
だから自宅にいさせてあげる。
その気持ちは大切です。
でも、
食事が成り立たない。
入浴できない。
夜間の安全を確保できない。
家族が眠れない。
介護のために仕事を辞めなければならない。
そこまで来ても「本人が自宅を希望しているから」と住み続けることが、本当に本人らしい生活なのかは考える必要があります。
反対に、
歩けなくなった。
一人で風呂に入れなくなった。
料理ができなくなった。
それだけで「もう施設」と決める必要もありません。
住宅を変える。
道具を変える。
サービスを使う。
介助方法を変える。
場合によっては、同じ地域のもっと暮らしやすい住宅へ住み替える。
施設も、その選択肢の一つです。
親を施設に入れるタイミングを、
「何ができなくなったら」
だけで探しても、おそらく答えは出ません。
考えたいのは、
本人と家族の生活が、今の住まいでまだ成立しているか。
そして、
使える支援や環境を変えても、それを続けられるか。
そこまで試して、それでも難しいなら、住む場所を変えることを考える。
施設へ移ることもまた、暮らしを続けるための住環境の選択なのだと思います。
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