「声でエアコンをつけられるようにしたら、夜中に呼ばれなくなるかもしれない」
親の暮らしを支えている家族なら、そう考えることがあるかもしれません。
照明をつける。
カーテンを閉める。
テレビを操作する。
一つひとつは、小さな手助けです。
でも、それが毎日続く。
食事の途中で呼ばれる。風呂に入ろうとしたところで頼まれる。ようやく眠った頃に、また起こされる。
頼む本人にも事情があります。
手が届かない。指が動かしにくい。起き上がるだけでも時間がかかる。
一方、呼ばれる家族にも生活があります。
仕事があります。家事があります。眠りたい夜も、一人で過ごしたい時間もあります。
だから、機械でできることが増えるのは、本人にとっても家族にとっても意味があります。
ただ、便利なものを入れたあと、家族の間で話しておきたいことがあります。
「自分でできることが増えた」と、「もう一人で大丈夫」は、どこまで同じなのでしょうか。
本人が頼まずに済むことには、価値がある
英国の住宅団体Habintegが、脳性麻痺のあるNick Bishopさんの暮らしを紹介しています。
昼夜を通じた支援が必要で、自宅には介助者のための寝室もあります。
その家で使っているものの一つが、Alexaで操作できるスマートプラグです。
介助者に頼まずに、扇風機などの電源を入れたり切ったりできると、本人が紹介しています。
ここで興味深いのは、支援する人がそばにいても、自分で操作できることを大切にしている点です。
誰かがやってくれるなら、それでよいとは限らない。
少し暑くなったから風をつける。
寒くなったら止める。
その程度のことを、いちいち頼まずに済む。
家族から見れば数秒の手助けでも、本人にとっては、自分の部屋で過ごす自由に関わることなのだと思います。
頼む側も、何も感じずに頼んでいるとは限らない
ここからは、家族の暮らしを想像してみます。
夜中にエアコンを調整してほしい。
でも、隣の部屋では家族が寝ている。
明日も仕事だと分かっている。
「これくらいで起こすのも悪い」
そう思って、少し我慢する人もいるでしょう。
反対に、我慢せず呼べる関係もあるでしょう。
ただ、呼べるからといって、何も気にしていないとは限りません。
手伝う家族も同じです。
「呼んでくれればいいよ」
本心でそう言っていても、毎晩続けば眠い。
体調が悪い日もある。
今日は勘弁してほしいと思うこともある。
それを口にすると、相手が頼めなくなるかもしれない。
だから言わない。
機器で代わりにできることが増えるのは、こうした互いの遠慮を、少し減らすことにもつながりそうです。
家族が楽になることを、後ろめたく思わなくていい
福祉用具や住宅設備を考えるとき、私たちは本人への効果を説明します。
自分でできるようになる。
安全に生活できる。
生活の範囲が広がる。
どれも大切です。
でも、家族にとっての、
「その間、自分のことができる」
「夜、少しまとまって眠れる」
という変化も、きちんと扱いたいと思います。
家族が楽になるために機器を使う。
そのことを、本人への愛情が足りない話にしなくてよいはずです。
むしろ、手助けを必要とする生活を長く支えるなら、支える側が続けられるかどうかも考えなければなりません。
本人の生活を守るために、家族の生活がいつも後回しになる。
それを当然の前提にしてしまうと、住環境の選び方も偏ってしまいます。
ただし、家族が期待するほど「手が離れる」とは限らない
ここで、別の問題が出てきます。
例えば、声で照明やエアコンを操作できるようになったとします。
本人は、
「夜中に家族を起こさなくて済むようになった」
と喜ぶ。
家族は、
「それなら、夜は一人でも過ごせるかもしれない」
と考える。
同じ機器を見ていても、期待している変化が違います。
部屋の温度を変えられることと、夜間に必要なことを一通り自分で行えることは、同じではありません。
トイレへ行く。
飲み物を取る。
体調が悪くなったら連絡する。
別の手助けが必要な場面もあるでしょう。
便利になったことは確かです。
でも、どの手助けが減り、どの手助けが残るのか。
そこを確かめずに話を進めると、本人は「急に一人にされる」と感じ、家族は「できるようになったのに、なぜまだ呼ぶのか」と感じるかもしれません。
一つの機能が増えたときこそ、家族の間で「何が変わったのか」を具体的に話す必要があります。
「何かあったら連絡して」の、その先
家族が離れて過ごす時間を増やすとき、よく使う言葉があります。
「何かあったら連絡して」
もちろん、連絡する方法は必要です。
ただ、その言葉を言った家族は、いつでも対応できるのでしょうか。
会議中かもしれません。
車を運転しているかもしれません。
子どもの迎えに行っているかもしれません。
本人が連絡できても、受ける側がすぐ動けるとは限りません。
見守り機器で異変が分かるようになっても、知らせを受けた後に誰が何をするかは残ります。
ここは、機器だけでは決められないところです。
一人の家族のスマートフォンへ、すべての知らせが届く。
すると離れて過ごせるようになったはずなのに、その家族は一日中、通知を気にする暮らしになるかもしれません。
家族が離れられる距離と、安心して離れていられる時間は、別に考えた方がよさそうです。
「もう大丈夫」ではなく、「どこまでなら大丈夫か」
だからといって、新しい機器を使うことをためらう必要はないと思います。
日本でも、国立障害者リハビリテーションセンターの作業療法部門が、家電やカーテン、鍵などを操作する市販のスマートホーム機器を、住環境調整に使った例を紹介しています。
選択肢は、実際に増えています。
その選択肢を生かすためにも、家族で考える単位を少し小さくしたいのです。
「一人で暮らせるか」
と一度に結論を出す前に、
「夜中のエアコン操作は、自分でできそうか」
「家族が買い物に出る間、困ることはないか」
「困ったとき、連絡を受ける人が出られなければどうするか」
と、場面ごとに確かめる。
本人が不安に思っていることと、家族が負担に感じていることも、同じとは限りません。
そこを聞かずに機器を選ぶと、高機能なものを買っても、いちばん困っている場面が残ってしまうことがあります。
便利さを、誰か一人の我慢で成り立たせない
私は作業療法士として、本人ができることを増やす方法を考えます。
同時に、その生活を支える家族が、何を担っているのかも見ていきたいと思っています。
本人には、家族に頼むだけの生活にはしたくないという思いがあるかもしれません。
家族には、支え続けたいけれど、自分の時間も必要だという思いがあるかもしれません。
その両方があってよいはずです。
AIや住まいの自動化を考えるときにも、機械が何をしてくれるかだけでは足りません。
それを使うことで、本人の一日がどう変わるか。
支える家族の一日がどう変わるか。
そして、新しく誰かが引き受けることはないか。
「これがあれば一人で大丈夫」
その一言で話を終わらせず、
「これで、この時間はお互いに楽になれそうだね」
と、具体的に言えるところを増やしていく。
そんな使い方が、家族それぞれの暮らしを支える住環境につながるのだと思います。
関連記事
福祉住環境研究所
身体が不自由になっても、家を病室にしない。――福祉とインテリアの間で考えたいこと
福祉特化FP
サチエル・ロビンソン
AIで障がい者の仕事はどう変わる?就労継続支援B型事業所が考える新しい働き方

コメント